Bicycle−つれづれなることぶつかる(9)無法ガードマンと悪徳警備会社; 日本ガード(株)を弾劾する2002年の秋は短かった。10月まで暑さが残っていたかと思えば11月には早くも師走の寒さがやってくる始末。おかげで秋らしい景色と気候の中でサイクリングをする機会が少なくなってしまった。そうした中11月12日,八王子に用事ができた。たまたまその日は天気も良く暖かだったので,自転車で行くことにした。 西へ玄奘三蔵の天竺への旅に比べれば全くとるに足らないとはいえ,西への道のりは決して楽ではない。甲州街道・青梅街道といった都心と多摩方面を結ぶ主要道路は,東南から西北方向に延びるものが多く,これらに沿っていけば遠回りとなる。舗装などの路面状態はいいのだが,交通量,とりわけ大型車の通行が多いことから,安全のためできれば避けたいところでもある。そこで早稲田通り・日大二高通り・連雀通り・人見街道といった,ほぼ真西か西南方向に延びる道路を併用することになる。また今回は使わなかったが五日市街道も利用可能だ。 もちろんこうした道路をそのまま渡り継いでいくことは難しく,途中住宅街の生活道路や川沿いの遊歩道のようなところも通る。以前杉並区内に住んでいたことがあるので,そのへんは多少心得ているつもりだ。そこで明治通り・新目白通り・早稲田通り・日大二高通りを経て,環八・青梅街道とクロスする四面道交差点から,住宅街を抜けて立教女学院横を通り,人見街道・連雀通りを通った。ほとんどが2車線の道路なので交通量は多くないものの,一部は路肩が狭く走りにくいところもあった。 危険への交通誘導いずれにしても甲州街道を通らねば目的地には行けない。小金井市内で連雀通りから甲州街道に移るべく南下した。東八道路とクロスする前原交番前にさしかかる直前で事件は起こった。 工事で歩道と1車線がふさがっており,バリケードで仮設歩道が設定され,車道は片側交互通行になっていた。対向車が止められていることを確認して前の車に続いてその場を通過しようとしたところ,交通誘導をしていた1人のガードマンが「歩道を通れ」などとわめき散らして,自転車に向かって突進してきた。これを避けるべく車道右端近くまで寄ったものの,このガードマンはわざわざぶつかってきて,私の自転車を転倒せしめた。この蛮行を弾劾しつつ,原則論に則り彼の無法性を自覚させることにした。
これは自転車乗りなら大概知っているものの,そうでない人は知らないことが多い。交通誘導に当たる警備員などの民間人はもちろん,時には交通整理に当たる警察官ですらそうだ。だがこれがここでの本質的問題ではない。問題は,この男がぶつかってきたことにも示されるところの,警備員の立場についての認識である。そこで,
と問うたことは言うまでもない。警備業法では,業として警備に携わる者に何らの特権もないことと,権利・自由の侵害,正当な活動への干渉の禁止を明記している;
従って警備員であることや警備員の業務に就いていることが,この男の蛮行を正当化する理由には全くならない。通常の暴行事件と何ら変わるところはないのだ。また狭くて凹凸だらけの仮設歩行者通路に自転車(このとき私の自転車のタイヤはかなりすり減っていたので,パンクの危険もそれだけ高かったという事情もある)を通らせること自体,警備員としての安全認識が欠如していると言わねばならない。それ以前に,自らの意に沿わぬ者を無理矢理従わせようとする傲慢な態度は,クソガキのワガママ以下の人格的卑小さを示すものだ。 この日はヘルメットをかぶって走っていた。通常ヘルメットは,転倒・接触などから身を守るためのものであるが,ここでは無法警備員から身を守るという機能があることを知らしめてくれた。しかし,その場から走り出してまもなく,乗り心地が変なことに気づいた。ぶつかった衝撃でサドルが後方にずれ,食いこんだ荷台共々ねじ曲がっていたのだ。再びこの警備員に抗議したが,賠償責任が及ぶことを恐れてか,何とか無視しようと汲々とする始末だった。そこでその場にいたもう一人の警備員に所属会社に連絡するよう要求した。警備会社は,電話を通じてこの愚行を詫び,修理費用の弁償を約束した。 土方歳三の墓この間の時間のロスはかなりのもので,それを取り戻すべく先を急ぐことにした。甲州街道で多くの大型車の間を縫って走るのは楽ではなく,サドルのずれのために入れた力が抜けてしまい,さらには腰にかなりの負担が来てしまった。日野橋で多摩川を渡ったところで,用務先に電話して,用事を夕方にしてもらえるよう依頼。幸い先方は快諾してくれた。 近辺で修理に応じてくれるような自転車店は見つからず,かといって八王子まで一気に走る気力もない。そこで少し寄り道して土方歳三の墓を訪ねることにした。 甲州街道駅から多摩モノレールに沿って南に1駅行くと満願寺という駅がある。これが最寄り駅だ。日野市当局は,住居表示を口実に近辺のいくつかの地名をこれに統合しようとしている。これに伴って土方歳三のふるさとである石田の地名も消されようとしており,同集落の住民や全国の新撰組ファンが反対署名を集めているという。 石田寺(せきでんじ)に着き,墓地入り口に近い土方歳三の墓を訪ねると,2004年のNHK 大河ドラマ「新撰組!」に合わせてであろうか,真新しい墓石になっていた。最後まで時流に抗いつつ闘い抜いた土方歳三の生涯をしのぶには,何やら興ざめの思いもした。
自転車とパチンコの街・八王子!?興ざめが腰痛に追い打ちをかけた形で八王子市内に到着。八王子駅北口の交番で自転車店の場所を聞くと,駅から2kmほど離れたところにしかなく,火・水曜が定休日かもしれないとのことだった。とりあえず道順を聞き,店に向かうことにした。 甲州街道(国道20号線)に再び出て16号線に入ってしばらく行くとあると教えられたが,それらしいところは見あたらない。住民に聞いても埒があかず,八王子駅南口に廻ってきてしまった。南口駅前の交番の前には数台の自転車が止められていたので,ここで再び自転車店の場所を聞いた。警察官が乗っている自転車は大概,地元の自転車店が修理などをしているので,その場所を彼らが知らないことはまずないだろうと思ったからだ(ちなみに北口の交番の前には警察官用自転車は見あたらなかった)。すると駅前近くにあるとのことで,早速行ってみた。 古くから営業していると思しきその店の店主は,すぐにサドルの位置を直してくれた上,代金を取ろうとしなかった。おかげでほとんど腰痛になりかけていた腰の負担からはかなり解放されたが,力が抜ける感じと不安定さから逃れることはできなかった。これは,店主がサドルを前上がりに固定しようとしたことと,サドルを支えるレールが曲がってしまったことによるものだ。サドルを前上がりにするのは,私が小さい頃に乗っていた子供用の自転車でも行われていた記憶があり,古くに行われていたものなのだろうか,或いは車種によってはそれがいい場合があるかもしれないが,いずれにせよ私が今乗っている自転車にはそぐわないものだ。ともあれこの場でこれ以上のものを求めるわけにもいかない。とりあえずこれで家まで帰れることに感謝しなければならない。 八王子駅南口から再び北口に戻った。駅前はこの数年かでいずれもかなり変化し,特に北口には地下に駐車場とともに駐輪場がつくられている。八王子市当局は,ここ以外にも京王相模原線・南大沢駅前などで,バブル期に始まった開発・再開発の過程で,自転車を都市景観から遮蔽するためにわざわざコストのかかる駐輪場を建設してきたことに示されるように,自転車に優しくない都市計画行政を行っていると言わねばならない。 北口のそごうの前に駐輪しようとしたところ,丁寧に誘導する一人の管理員がいた。この種の管理員には,自転車イジメの尖兵を以て任じるような者も少なくない中,珍しい存在に思われたので,この間のいきさつを話しつつ,八王子の自転車事情を聞いてみることにした。するとやはり駅前近くには自転車店はないものの,駅からやや離れたところに古くからやっている自転車店があることなどを教えてくれた。そして彼はこれに続いて,
と言った。彼の表情からは,昔を懐かしむとともに,地場産業の一端を担っていることへの喜びと誇りが垣間見えた。これがこの日唯一の収穫と言うことになろう。旅なら想い出の一齣となるところだろう。 遅らせてもらった用事を終え,家に帰り着いたのは日付が変わろうとする頃であった。行きと違ってほとんど甲州街道を走った。もっとも調布近辺では並行する旧道を通ったが。この後何日かに渡って,仕事などの合間を縫って,ダメージを受けた自転車の修理と整備を少しずつしていった。 無法悪徳警備会社・日本ガード(株)を弾劾する無法悪徳警備会社・日本ガード(株) この警備会社・日本ガード(株)の「警務部長 鈴木正春」は,あろうことにかいったんは約束した弁償を反故にしてきた。しかもその言辞たるや,全く人をバカにしたものであると言わねばならない。
交換せざるを得なくなった部品の請求書(金額は約8000円)を送ったところ,日本ガード(株)の「警務部長 鈴木正春」は電話で,「曲がったものを直すのが修理だ,交換部品を弁償するとは言っていない」などとほざいてきた。「曲がったものを直す」ようなことで原状回復できるものなどほとんどない。自転車部品の材質や構造を考えれば,そのようなことをして「修理」になることなどほとんどない。仮に外見上元通りにしても強度や機能までもが回復するわけではない。このヤカラはそうしたことも解らないのだろうか? 会社としての返答を文書で出すよう要求したところ,1週間近く経って「検討の結果,やはり支払いに応じられない」旨の文書が,「警務部長 鈴木正春」名で送られてきた。内容以前に代表者公印もなく,会社を代表する立場にもない者の名前で文書を送付してきたこと自体がふざけている。 だがここで,かかる金額の出費を惜しんでいるとか,態度が不誠実で相手をバカにしていると言ったことだけが問題でないことを確認しなければならない。このヤカラと警備会社の腹黒さは別のところにあるのだ。すなわち警察への通報をさせないことだ。というのは,事件が起こった際,少しでも不誠実な態度をとれば,当然にも警察に通報したであろう。そうなれば少なくとも物損事故,場合によっては暴行事件として処理される。警察沙汰になれば,公安委員会による監査が入るなど,警備会社は一般の人や企業よりも厳しい情況に置かれるのだ。これを避けるために,いったん口先で「弁償」を「約束」して,“誠意”を示したふりをしたわけだ。 当面は,業界の自浄作用(送付文書)と東京都公安委員会 (送付文書)の厳正なる態度に期待を残しつつ,「家庭と社会をガードする」一片の資質もない無法悪徳警備会社・日本ガード(株)を弾劾し,社会からのレッドカードを渡すべく,筆誅を加えるものである。 (2002.12.7) 第2ラウンド2002年も押し迫った12月27日,この件に関して小金井警察署から電話があった。内容確認としてであろうか,そのとき私が走っていた方向について聞かれた。連雀通りから甲州街道に向かっているのだから南向きとなり,現場は東八道路にクロスする前だからそれより北側となるが,公安委員会に宛てた文書では,そこが判らなくなっていたようだ。 東京都公安委員会から書類が回ってきたので,日本ガード(株)の社長を呼びだして注意したとのことであった。現場が小金井市内であったため小金井署が担当したわけだ。警備会社側の不誠実な態度や道路交通法ほかの依拠する法令など,全面的に当方の申立通りに注意が加えられたとのことであった。そこで改めて日本ガード(株)代表取締役社長・西村年博宛に,謝罪と賠償を求める(送付文書)ことにした。かくして,闘いは第2ラウンドに入った。 (2002.12.31) 公安委員会−警察を通したことで,いわば首根っこを掴まれた形になったであろう,日本ガード(株)の「鈴木正春」は,年が明けた1月6日朝,「自転車の修理代・部品交換代をお支払いしたい」旨の連絡を,私の留守番電話にしてきた。そこで同日,様子を見るべく返答(送付文書)をfaxで送った。すると翌日には請求した修理費を現金書留で,翌々日には別便で切手を送って来た。 かくして,足かけ2年に渡った無法悪徳警備会社・日本ガード(株)との闘いを貫徹したのであった。賠償という実こそとったものの,社としての正式な謝罪の言葉も文書もなかった以上,無法悪徳警備会社・日本ガード(株)及び,自浄作用を働かせなかった警備業界に対し,市民として引き続き厳しい態度で臨まねばならないことはいうまでもない。 (2003.1.10) |