Bicycle−つれづれなることぶつかるPersona non grataへの道程 > (14) Persona non grataへの道程ペルソナ・ノン・グラータ(Persona non grata)とは,「歓迎したくない人物」とか「招かれざる客」といった意味で慣用的に使われることもあるが,「好ましからざる人物」を意味するラテン語からきた外交用語で,外交官として受け入れることを相手国(接受国)に拒まれた者のことだ。あらかじめ受入拒否される場合もあれば,入国後不適切な言動をとったり経歴が暴露されたりして,その旨を発動される場合もある。いわば外交官のレッドカードだ。 八重桜がまだ咲いていた都心で,それへの転落の一歩を歩み始めることとなった人物と遭遇した。 清水谷公園近く (左,2010.4.19),オマーン大使館 (右,2010.4.21) 花吹雪の後に今2010年の東京では桜が例年より長く楽しめ,4月後半になっても都心ではまだ八重桜を見ることができた。そうした中,観桜の季節の名残を惜しみつつ,都心方面に自転車で,1年あまり前まで,走り慣れていた道−−もちろん骨折に至ったような事故や危険な目に遭ったことも何度かあったが−−を走っていた。 清水谷公園やその前の道路沿いで,まだ咲き続けていた八重桜を眺め,ときに足を止めてカメラを向けたりしながら,赤坂見附交差点へ至る弁慶橋にさしかかった。もちろんわたしの自転車は車道の左端近くを走っていた。赤信号で止まることを予期してかなり速度も落としていた。 交差点近くなったところで,既に止まりつつあった1台の車の助手席から,まだ火のついたタバコの吸い殻を投げ捨てる者があり,危うく直撃を食らうところであった。 外交官特権が何だ!そこで赤信号で停車中の車の前方にまわって制止し注意と抗議をした。この車は青ナンバーの外交官車輛であった。だがいかなる車輛であれ,何者であれ,かかる行為がもたらす危険や損害,迷惑などに何ら変わるところはない。 通りががって偶然その様子を目撃した何人かの市民もまた,抗議の列に加わってくれた。この男の傲岸不遜たる態度に,日本と日本人全体を侮辱されたかのごとく映ったのであろう。あわせて110番通報も行った。それも含めて警告したが,あろうことにか,この車を運転していた男は,車を動かし,車の前方にいたわたしと自転車にぶつけてきたのであった。その様子もまた110番通報に筒抜けだ。 もっとも,外交官特権を利用してこの場から逃れようとしても,警察に防ぐ手だてはないのだが,警察が到着する数分の間に,市民・常人としてできることをできる限りしておくことが肝要であった。警察は,外交官特権の行使にたいしてそれに抗うすべはなく制約もあるが,市民・常人には,何らの特権もない代わりに制約もないのだ。もちろん日本の法令に抵触しない範囲でではあるが。 すなわちこの場合,道路交通法違反その他の危険行為にたいして,常人逮捕し,その身柄を警察に引き渡すという,現行犯逮捕の原則をもって臨むこととなったわけだ。彼らが外交官特権をもってその場から逃れようとしても,そのためにおのれの身分を明らかにしなければならない。そこでうかつにも,火のついたタバコを放り投げた男がオマーン大使館の一等書記官であり,運転者が同国籍を持つと思われる者(ただし外交官ではない)であることを明らかにしなければならなかったのだ。 その場を逃れようとするあまりに,すべてを自己暴露するはめになった。 オマーン国一等書記官を名乗る者(助手席)と同国籍と思われる運転手(左), 道路は灰皿ではない火のついたタバコの直撃を食らえばどうなるか。単にけむいとか衣服を焦がしたりすることもあるといっただけでは済まない。手などにあたってヤケドすることも少なくないのだ。最悪の場合,目に入って角膜を焼損して失明に至ることもある。 「道路は灰皿ではない」という標語はかなり前からあり,日本で生活していればたいての人はどこかで一度は目や耳にしていることだろう。だがこれを,あるいは英語に直訳して「Road is not ashtray.」などといったところで,このようなヤカラに通じるわけではない。彼らは,かかる行為のもつ危険性や迷惑はもとより,法的・道義的責任についても,理解を超え意に介さない無法者以下の存在なのだ。 外務省へこの男らは「公務」を口実に,警察権力から逃れ,外務省に向かうと称して立ち去ろうとし,その後の出頭をも拒否しようとしたが,それによってことが済まされるものではない。運転手には外交官特権などなく,日本の公道上で自動車を運転する以上,日本の道路交通法が適用される。同乗者の危険行為を許したことは道路交通法違反であり,逃亡を図ろうと私や自転車にぶつかってきたことについては,これに加えて賠償責任も生じる。というのは,この男が車を発進させようとした際,自転車のペダルがナンバープレートに当たり,中央部がへこむなど新たな損傷が発生し,その証拠・痕跡を残したとともに,自転車のクランクやBBへの負担・損傷も懸念される情況となった。賠償責任は債務であり,外交官特権で逃れることはできない。当人が拒否しても,使用者である大使館に請求することも可能だ。 また,こうした外交官車両は外務省の管理下にある。青ナンバーを発行するのもそうだ。陸運局でも地方自治体でもない。外務省において国内にある在外公館に関する事務を一手に管轄しているのは儀典官室という部署だ。その名の通り「皇室関係業務、外交官等の接受・派遣、外国人に対する叙勲の推薦、外交上の儀礼」を扱うのが本来なのだろうが,それ以上の事務量が平素から「駐日外国公館関係」に割かれていよう。今回の事態を報告,厳しい対処を求めた。もちろんこれだけでなにがしらの措置がなされることを期待するのは難しいが,こういったことが頻発したりエスカレートしたりすれば,知らなかったではすまされなくなる。イエローカード・レッドカードのステップだ。 大使館へオマーン国大使館の所在地は東京都渋谷区広尾4-2-17となっており,隣接する港区側とあわせて外国公館が多いところだ。以前は千駄ヶ谷にあったようだが,近年この地に移動してきたようだ。法的・道義的責任と注意安全義務のある件の運転手が,この一件を報告したかを尋ねたうえで抗議し,その上で,一運転手がもっぱら責めを負うのも不公平であるから,危険行為を行った当人である自称一等書記官の謝罪を要求するという形をとった。これは,それ自体が目的でなく,後日賠償請求をおこす場合の準備でもあった。もちろん外務省へこの一件を伝えてある旨も添えたことは言うまでもない。 最後は市民力外国公館が多い港区や渋谷区では,道行く外国人の姿も多いがその中に含まれる外交官や公館関係者も多い。外交官車両も多く見られる。それぞれの国を背負ってやってきているだけに,たいていは丁重な運転をしているが,中にはとんでもない者もいる。こういったことは,日本および日本の人民・市民をどのように見ているかの反映であるとともに,自国内における人民・国民にたいする位置づけや見方を反映したものでもあるといっていい。 ヨーロッパ先進国のごとき民主主義国家であれば,国民=主権者で公務員=パブリック・サーヴァントであるから,自国内で自国民をそうそうぞんざいに扱ったりはしない。せいぜいエリートが非エリートを見下すなり,身分秩序内で差別するといった程度だ。だが,専制国家や独裁国家,全体主義国家のごときであれば,もとより人民を主権者として尊重するなどといったことができなくても不思議ではない。 オマーンの元首にして主権者はスルタンだ。スルターン国・スルタン制では,王国のような伝統的支配にとどまらず,その君主権の絶対性,国家の私産性が強いものだ。加えてイスラム国家ゆえに男尊女卑の風も根強い。そうしたところで国民の権利や人民の尊厳などといっても通じるものではない。どの国でも元首は一人だが主権者の数や割合は大きく異なる。日本は憲法を持ち,国民主権を定めている。主権者は国民全体だ。主権者という点では,日本には1億2千万以上のスルタンがいるのと同じだ。 そして国民という枠にとどまらず,その主体性を発揮するのが市民だ。その市民の力をもって,かかる愚行を弾劾するものでなければならない。 今回の一件では,この男らの顔写真を携帯で撮影してあり,これをインターネット上で世界中に公開することができる。顔が割れれば諜報活動のようなことはできなくなる上,国の体面と外交官の品位を汚す,かかる愚行をもってする者に大事を委ねられないことが,同国当局者にも解るであろう。こうして市民の手で,市民の力で,外交官たるにふさわしくない者である旨の情報発信ができる。 これこそまさに,市民力で突きつけるレッドカード,市民力で発動するペルソナ・ノン・グラータだ。 (2010.7.6) |